こんにちは、しおりです。
うざいことに、生きていると自分の考えを押し付けてくる人というものが存在します。
厳密には「自分の考え」ではないのですが。
例えば、「俺はこうだったんだから、お前もそうしろ!」とか、「そんな考えじゃ、世の中生きていけないわよ!」とか。
いや、お前の成功体験と失敗体験をこちらに当てはめるなよ、と。
で、そういう人たちには、まことに残念ながら大変残念な共通点があるわけですね。
スポンサーリンク
目次
他人に厳しいのは、望まない努力をしてきたから
その共通点というのは、
- 望まない努力をしてきた
ということです。
そもそも努力をするということは、めんどくさいことや、望まないことをするということです。
すると、その「努力」をしてきた人たちの心情は、このようなものになります。
- 俺だって、本当は嫌だけどやってきたんだぞ!
- 私にはできたのに、どうしてあなたにはできないの?
そうなんです……めんどくさいんです。
ヒジョーにめんどくさい大人が出来上がるのです。
しかも彼らには自覚がないので、裏では毒親とかクソ上司とか呼ばれる存在に成り果ててしまいます。南無…。
他人に厳しいのは、好きなことをやっていないから
隙あらば自分語りをさせてもらいますが、私はゲームが好きです。
でも、ゲームをするのに努力はしないわけです。やりたいからやるだけ。
だから別にゲームをやらない人がいても、「ほーん(こいつ人生の半分くらい無駄にしてるな実質寿命半分だな)」としか思いません。
仮に、「ゲームなんて何が楽しいの?時間の無駄じゃん」とか言ってくる人がいても、ゲーム機の本体を凶器にしたゲーム・アンチ殺人事件とかは起こさないわけです。
断じて!(#^ω^)ピキピキ
でもこれが、望まないのにやらされてきたことだったら、どうでしょうか?
- 「ゲームしなさい!」
- 「ゲームしないと、まともな大人になれないわよ!」
と言われ、本当はやりたくないのに、ゲームをやることを強要させられる毎日。
本当はやりたくないのにやらないといけないゲームをやらないと否定される認められない居場所がない甘えだと思われるやらないといけないゲームをやらなry
そんな時、
- 「ゲームなんてやらなくていいのよ。やりたいことをやればいいのよ」
と言われて育ってきた第三者が、現れたとしたら……?
スポンサーリンク
好きなことをやれず、他人に厳しい人の末路
私だったら、まず間違いなく、敵対心を抱くことでしょう。
- 私はゲームをやってきたのに、どうしてお前はゲームをやっていないんだ!
という気持ちになるはずです。
あまつさえそれが自分の部下にでもなったりしたら、
- 「ゲームすらしたことがないなんて、信じられない。常識でしょ?ゲームもしたことない人間が、これからやっていけると思ってるの?」
とこれみよがしにパワハラして訴えられることでしょう。
望まぬ努力をさせられてきた人間は、好きなことをやっている人間がそこに存在するだけで、自分が否定されたような気持ちになってしまうのです。
めんどくちゃい\(^o^)/
そして、自分を否定する存在が気になって気になって、仕方がなくて、自分と同じように染めてやりたくて頭がもげそうになって仕方がなくなります。
そうして、毒親やクソ上司という存在へと成り果ててしまうのです……。
(もちろん自覚などない\(^o^)/)
好きなことをやっている人は、他人に無関心
そもそも、自分が、
- 好きでやっていること
- やりたくてやっていること
というのは、他人に押し付けようとは思わないものです。
だってどう考えてもマジキチだし、そもそも他人に押し付けている暇があったら、自分でやっています。
だって好きなんだもん!
もちろん、好きなことをやって、うまくいかない苦しみもあるかもしれません。
でも、それはあくまで、自発的にやっていることなので、他人がどう生きていようがどうでもいいのです。
だから、他人に厳しい人間になんて、なりようがありません。
逆に、他人に厳しい人というのは、
- 望まないことをして生きてきた人
こう定義することができるのではないでしょうか。
他人に厳しい人にとって、押し付けるのは当たり前のこと
望まぬ努力をしてきた人たちは、大抵が周囲の人間や環境によって、それらを強要させられてきました。
押し付けられることが当たり前だったので、押し付けることも、当たり前のようにしてきます。
それが、親切であり正義であり愛情だと、思っています。こわい。
しかも、その望まぬ努力によって、中途半端に成功してしまったため、押し付けてきた人に感謝すらしていることもあります。
あまつさえ、こちらに感謝することを強要してきます。こわい。
彼らは、意地悪で他人に厳しいわけではなく、それが正しいと思っているのです。
善意です。
俺はこんな努力をしてそれがあったからこんな成功をしてだからお前もこれだけの努力をしてそうしたらお前も俺と同じように成功できるからだからお前も俺と同じようにしろそうじゃなきゃ許さない。
という、自己愛を愛情だと勘違いしているメンヘラのような存在です。かわいいですね。
しかし、ここで大事になってくるのは、いざそういう人間を目前にした時、
- あなたはどうするのか
ということです。これが一番大事です。
あなたは、他人に厳しい人になりたいか?
先ほど、他人に厳しい人というのは、
- 望まないことをして生きてきた人
であると定義しました。
ここで、考えてみてください。
あなたは、望まないことをして生きていきたいですか?
他人に厳しくされ、それに感謝しながら、自分も他人に厳しい人間になって、望まないことをしながらそこそこ成功した人生を送りたいでしょうか。
送りたいならいいです。
そういう人間と関わっていれば、己の意思とは関係なく、自然とそのような人生を送ることになるでしょう。
しかし、もしあなたが、そのような人生を「送りたくない」のなら。
距離を置きましょう。
あるいは、彼らの言うこと為すこと存在そのものを、右から左へ流しましょう。
例え、その人の言っていることが正しいように聞こえても、その人の人生を尊敬できないのであれば、一切受け付ける必要はありません。
他人に厳しいのは、自分で考えるアタマがないから
ちょっと辛辣なことを言いますが、他人に厳しい人は、自分で考える能力が低いといえるのではないでしょうか。
例え、同じ努力をしてきたとしても、それが自発的になされたものなら、他人に押し付けようなんて思わないはずです。
だって自分で勝手にやってるだけですからね。
望まない努力をしてきた人間は、それが義務だと思っているから、他人に厳しくなるのです。
本来義務じゃないことを義務だと思い込んでいる人間って、概して自分で考える能力がなry
あれ?こんな時間に誰だろう……?\(^o^)/
「努力」をすると、他人に厳しい人間になる
ということで、
- 望まない努力はするな
なぜなら、
- 他人に厳しい人間になるから
とてもシンプルな結論ですね!
ぶっちゃけ、今の時代、他人に厳しい人間なんて得しないですよ。
望まない努力をしないと生きられない時代には、それを強制してくれる人は、そりゃ感謝されたのでしょう。
でも、今は個性出した方が、勝つる時代ですからね。
そういう、ちゃんとした「自分」を持っている人間からしたら、人格の画一化を強制してくる人間なんて、敵以外の何者でもないことでしょう。
だから、自分がそういう人間になってしまったら、損です。
そうならないためにも、ぜひ皆さま、現実には存在するけど自分の脳内からは完全に特定の人物を抹消する能力を身に付けて、快適で楽しい人生を送ってくださいね(笑顔)
オススメ
→自分のことしか考えられない人は、他人のことばかり考えている
------------------------------------------------------------------------------
私は、
21歳で就職を放棄して、
今は、「ブログ」をメインに、
好きなことをしながら、自由に生きています。
読書したり。
映画みたり。
後、ゲーム。
最近では、
ブログで稼ぐ方法を、簡単にまとめたりもしています。
→初心者がブログで稼ぐには?
もともとは、
不登校だったり、フリーターだったり、ニートだったり。
コミュ障すぎて人間関係壊滅で、
自分の人生に息苦しさを感じていました。
私の詳しいプロフィールはこちら。
→【プロフィール】いやそもそもShioriってだれ?
でも、今はそれなりに楽しいです。
自由に生きられるのって、
気楽でいいなーって、ほんと思います。
好きな時に寝て、起きて、
好きな時に好きなことを自由にできるので。